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数カ月前に、お客様にディベート教育株式会社の説明をした時のことです。

先方の代表者から「ディベートという言葉を使うと、従業員が嫌がる」と言われたのを覚えています。

其の理由を伺うと、「ディベートは、議論で相手を上手く言いくるめるように思われている」という懸念を伝えられました。

始めに、この代表者は小学校からディベート的教育を受けた経歴の方で、十分ディベートを理解されており、趣旨としては「ディベート的な教育をするためには、別の言葉に置き換えたほうが理解されやすい」という前向きな発言でありましたので、誤解のないように付記しておきます。

さて、本題に戻りましょう。

本来的には、ディベートは深く問題を理解してより良い結論を導く手段であり、決して白を黒と言い含めるようなものでは有りません。

しかしながら、ディベートを志すものとしては、一般的にディベートにはこうした拒否反応みたいなものが強くあるということを痛感させられた次第です。

事実、全日本ディベート連盟のウェブサイトにも、「ディベートに関するよくある誤解」として次のような解説があります。

出典  全日本ディベート連盟ウェブサイト  4ディベートに関するよくある誤解
・ディベートを学ぶことでどんな口げんかにも勝てるようになる
→何度も繰り返しますが、ディベートは日常の議論で勝利するための技術ではありません。
何かの物事を判断・決断しなければならない時に、必要な議論・情報を収集・精査・吟味し、最適な判断を下すための方法論であり、また、第三者に対して物事 を分かりやすく伝えるためのトレーニングツールです。
・ディベートを学ぶと反抗的になったり屁理屈ばかり言うようになる
→いいえ。逆です。
屁理屈(詭弁)では相手の反論に耐え、真に第三者を納得させることはできません。
様々な例や常識的な思考・論理をつなぎあわせて、誰にでも分かる議論を構築していくのがディベートです。これは詭弁とは正反対の考え方です。
また、物事にも様々な側面があり、心情的に納得のいかないことがあったとしても、実際には蓋然的な理由があり現実を形成していることをディベートを通じて 学ぶことになるため、徒に反抗したり一方的な観点から攻撃したりするようになることはありません。

やはり、世間でもディベートに対して様々な誤解が生じていることが伺い知れます。

上記の引用にもありますが、その原因の一つに「ディベートは屁理屈(詭弁)」というイメージがあると思われます。

き‐べん【×詭弁/×詭×辯】
出典 コトバンク デジタル大辞泉の解説
1 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。「―を弄(ろう)する」
2 《sophism》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。

実は、日本ではディベートという考え方、或いはディベートを体験することはまだ珍しく、一部の中学高校で実施されて入るものの、多くは大学の英語クラブで初めて体験することが多いのではないかと考えます。

ディベートを勉強しだすと、ちょっと自慢をしたい気持ちも手伝ってか、上記引用にもあるように、人に議論をふっかけたり屁理屈を言うようになる(と周りから見られる)学生がいることも間違い有りません。

こうした被害にあった人が、きっと「ディベートは道理に合わないことを強引に正当化しようとする詭弁だ」と思ったり、人に伝えたりして、所謂「都市伝説」のように聞き伝えられているのかもしれません。

このように、日本では、残念ではありますが、ディベートという文化は根付いておりません。

何故ならば、日本の文化が単一農耕民族に根ざしているからなのです。

単一民族であることは、皆で同じ価値観と同じ言語を共有しているということです。同じ価値観と同じ言語を共有しているということはとても効率出来で便利です。何しろ、伝えたい内容は詳細に説明しなくともおよそ分かってしまうというのです。

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また、農耕民族ということは全員である時期に農作業を実施しなければならないため、知識のある長老の指示にしたがい、議論をすることなく農作業に従事しなければならなかったわけです。ここで長老に従うことが良いことであると認識されたわけです。

こうした単一農耕民族の背景から、日本では議論をすることは十分に大人になっていない青臭いことだといわれ、長老が指示することを理屈ぬきで受け入れ、その指示に従っていくことが美徳とされるようになってきたのです。

こうした社会ではもともと議論を交わす習慣がないわけですから、議論の仕方など身につくこともありません。

それでは、日本に対して、アメリカはどうでしょうか?

アメリカは典型的な多民族国家です。人々はいろいろな文化的背景を持ち、英語が母国語でない場合も往々にしてあるのです。

ここでは自分の考えをコミュニケートすることで相手を説得し合意に持っていかざるを得ません。必然的にコミュニケーションが重視され、説得するために論理性が必要となってきます。

この為の教育こそがディベートであるわけです。

政治家を志す人、またビジネスでも上級管理職を目指す人は必ずといってよいほど、ディベートで論理性やコミュニケーション能力などを訓練しているのです 。

また、異なる文化を持つ国々が独立しているのであれば、それぞれの国に適切な運用をしていれば問題もなかったでしょうが、現在のように政治経済がグローバル化して、インターネットを通じて瞬時に情報が伝わるようになると、どうしてもいろいろな係わり合いが生じてきます。

日本の政治問題を見てみましょう。中国や韓国との政治的問題、靖国問題、拉致問題、領土問題、日米関係など例をあげればキリがありませんが、こうした政治問題は、単純に日本に閉じた問題としては片付けられないことが判ります。勿論、他国の政治が日本に対しても大きな影響を持っております。

また、経済の世界でも同様です。例えば国連では、190カ国に及ぶ参加国を交えて様々な問題が世界レベルで協議されております。また、世界の多国籍企業が日本に参入し、日本企業と競合しております。逆に日本の多国籍企業が海外に進出して、海外の経済活動に大きな影響力を持っていることも多くあります。

このように、現代社会では、鎖国していた江戸時代のような生活は不可能となっております。好むと好まざるに関わらず、異なった社会文化を持つ国や海外企業と係わり合いを持たざるを得ません。そうした場面では、日本の国益や自社を守るために、協議したり、交渉したりすることが要求されます。

その時必要とされるのが、異文化を乗り切るコミュニケーション能力です 。

米国のように、もともと異文化異民族をまとめてきた国にとっては、日本が加わっても単にひとつの異文化が増えたと同じなため、過去から培ってきたコミュニケーション手法を使えるという優位性があります。

一方日本人からすれば、未知の世界に放り出されたように、突然にして不利な立場になります。

別にディベートがグローバルスタンダードというわけではありませんが、どちらのアプローチがグローバルな社会で通用するかは明白です。

日本が否応なしにグローバル社会経済に取り込まれている現在、日本人としてディベートを学ぶ必要性があると私は考えています。

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