横綱白鵬の千秋楽での立ち合い変化で優勝:賛成ですか?反対ですか?
先週大相撲春場所は3月27日、エディオンアリーナ大阪で千秋楽を迎え、横綱・白鵬が横綱・日馬富士に勝って14勝1敗とし、4場所ぶりの優勝を果たした。しかし、千秋楽の横綱対決の大一番を白鵬は立ち合いの変化で勝利したため、観客からヤジが連発。白鵬は優勝インタビューで泣いてわびたのをご覧になった方も多いかと思います。
皆様は、横綱が勝つことを優先することに賛成ですか?反対ですか?
横綱白鵬の千秋楽での立ち合い変化で優勝問題の背景
白鵬罵声浴び涙 大一番で変化…謝罪「申し訳ない」
出典 日刊スポーツ 2016年3月28日
前代未聞の謝罪Vだ。横綱白鵬が、注文相撲で横綱日馬富士を下し、自身の持つ最多記録を更新する36度目の優勝を果たした。左への変化であっさり決着をつけたことに、観客からヤジが連発。白鵬は優勝インタビューで「本当に申し訳ない」と泣いてわびた。(中略)
荒れる春場所が、最後に大荒れになった。祝福の場になるはずだった白鵬の優勝インタビュー。観客からは拍手とともに、怒りの声が飛び交い、異様な雰囲気になった。
「勝ったら何でもいいんか!」「そんなに懸賞金が欲しいんか!」…。
始めに、大相撲とは何かを確認してみましょう。
日本相撲協会によれば、大相撲は1500年以上続く国技といわれ、日本の伝統文化であるとしています。
出典 日本相撲協会
国技といわれ、日本の伝統文化である相撲。
その起源、源流をたどっていくと、神話の時代にまでさかのぼらねばならない。
日本の文化に深く根ざし、いつも人々の生活とともにあった相撲。
ここでは1500年以上続く相撲の歴史の一端を紹介したい。(中略)
我が国の相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられる。
相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われてきた。これが後に宮廷の行事となり300年続くことなる。
さて、それでは本題に戻りましょう。
何故横綱白鵬が勝利したことで罵声を浴び、本人は謝罪をしなければならなかったのでしょうか?
ここには、横綱の品格という問題が有るのです。
例えば、横綱の昇進を審議する横綱審議委員会は、理事長からの諮問を受け、横綱にふさわしい品格、力量があるかどうかを審議する(知恵蔵2015の解説)とあります。
即ち、勝ち負けである力量に加え、横綱には「品格」が要求されるのです。
そして、白鵬が「品格」で非難されるのは、今回だけはないのです。
白鵬の「猫だまし」に非難…「横綱の品格」とは?
出典 BLOGOS 2015年11月18日
17日、大相撲九州場所10日目の白鵬・栃煌山の取り組みで、白鵬が「猫だまし」(主に立ち会い時、相手の目の前で両掌を叩き、撹乱させる技。)を使いました。これに対し、藤島審判長は「まさかという感じ、普通は小兵が奇襲でやるもの」と発言、元横綱の北の湖理事長は「横綱としてやるべきことじゃない。前代未聞。負けたら横綱として笑いもの。負けたら最低です。負けたら品格に引っ掛かる」と厳しく批判したことが報じられています。
メディアも「奇策」「奇襲」 「まさかの猫だまし」などと報じ、取組後の白鵬に対して「横綱としてふさわしくないのでは?」との質問が出ました。18日付けの各紙の報道も、
・「目標の双葉山が追い求めた横綱相撲にはほど遠い。」(毎日新聞)
・「最高位に立つ人が用いる策ではない。」(産経新聞)(中略)
・「誰もが納得する相撲道からは程遠かった。」(スポニチ)
・「横綱として会場を訪れたファンを十分に楽しませることはできたのか。」(日刊スポーツ)
・「地に落ちた横綱の品格」(日刊ゲンダイ)
と、おおむね白鵬に対し疑問を呈する論調です。
横綱が勝つことを品格に優先することに、賛成する意見
まず、勝つことを優先しなければ、「相撲は実力勝負ではなく、ショーと化してしまう」とする意見を紹介します。
出典 オールアバウト 横綱に求められるのは「品格」か「強さ」か
相撲は勝たなければ昇進しない
横綱に求められるのは強さか品格か。その答えは簡単には出せないが、相撲は勝たなければならないことを一番よく知っているのは誰より横綱本人だろう。
15年春場所の14日目、白鵬が立ち会いの変化で大関稀勢の里を下した際、観客からブーイングが浴びせられ、メディアからも横綱の品格を欠くと批判された。
では、勝つことより品格を取るべきか?
それも違うだろう。
なぜなら相撲は勝たなければ昇進しないからだ。
かつて品格だけが評価されて横綱になった力士はいない。
横綱になった力士は、例外なく勝って昇進してきたのである。
もし横綱が立ち会いで変化することがいけないなら、たとえば「番付上位力士は自分より下位の力士を相手に変化は禁止」あるいは「三役力士は変化は禁じ手」というようにルール化しなくてはいけない。だがそれをした瞬間、相撲は実力勝負ではなく、ショーと化してしまう。
この記事は、続けて、実際「品格」より「強さ」をとった過去の例を持ちだして、国民も納得したと説明をしております。
双葉山の逮捕歴に目をつぶった世論
出典 同上
歴史的大横綱として双葉山の名を挙げることに異論を挟む人はいないだろう。現在もなお、力士の鏡、横綱の鏡として双葉山は神格化された存在だが、そんな双葉山に逮捕歴があることは、よほどの相撲ファンを除き、あまり知られていない。
現役を引退し、年寄・時津風となった双葉山は、1947年1月、新興宗教の璽光尊(じこうそん)にのめり込み、警察を相手に大暴れをして逮捕されたことがある。
ところが、逮捕から9ヶ月後、双葉山は相撲協会理事に就任した。現在よりももっと品格が重視された時代に、逮捕された人間が一年と待たずに理事となることができた背景には、現役時代の強さと国民的人気があったことは疑う余地はない。
この件は、「強さ」が「品格上の問題」を帳消しにした象徴的な例であり、そのことに相撲協会も国民も納得していた証拠といえる。
タレント、マツコ・デラックスは、「強いことが優先の横綱がいてもいい」と理解を示しております。
マツコ、横綱の品格に「強いことが優先の横綱がいてもいい」
出典 サンスポ 2016.3.28
タレント、マツコ・デラックス(43)が28日、TOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜後5・0)に生出演。大相撲春場所で4場所ぶり36度目の優勝を果たした横綱白鵬(31)の品格問題にコメントした。(中略)
これ対し、テレビ番組などでたびたび相撲の話題について触れるなどしてきたマツコは「例えば、朝青龍じゃないけど、強いことが優先っていう横綱がいてもいいと思う」と、コメント。今場所にたびたび見せた駄目押しで協会審判部から厳重注意を受けるなど、その「品格」が問われている白鵬の姿勢に一定の理解を示した。
友添早稲田大学スポーツ科学学術院教授は、「最高位の横綱・白鵬をはじめ多くの外国人力士が幕内上位にいることの事実は、まさに現代の大相撲が力士相互の全力を傾けた卓越性の追求としてのスポーツであることを物語っている」としております。
大相撲の八百長は許されるか
出典 読売新聞 オピニオン 友添 秀則 早稲田大学スポーツ科学学術院教授
言うまでもなく競技スポーツの本質は、選手同士が当該スポーツのルールを遵守して、相手に自己の能力を最大限に発揮しながら、卓越性を相互に追求し合うことにある。さらに、これらのことを当該の選手のみならず、観客も含めた関係者が容認しているという暗黙の合意と社会的契約がある。(中楽)
大相撲がスポーツではなく見世物という意味での興行であれば、善玉の日本人力士とヒール役の外国人力士が観客に喜ばれるように演じればいいわけで、卓越性など相互に追求する必要など毛頭ない。そして、善玉の日本人横綱と日本人大関が下位力士のヒール役の外国人力士のあくどい挑戦を果敢に打ちのめせばすむだけである。だがしかし、最高位の横綱・白鵬をはじめ多くの外国人力士が幕内上位にいることの事実は、まさに現代の大相撲が力士相互の全力を傾けた卓越性の追求としてのスポーツであることを物語っていることの証ではないか。もしそうだとするなら、大相撲の八百長はやはり許し難い不正である。
横綱には「品格」が必要と、単に勝つことには反対の意見
白鵬が「猫だまし」で勝利したことに、北の湖理事長は「やる方もやる方。横綱がなんて、前代未聞」と吐き捨てたと報道されております。
白鵬はご満悦も…奇策「猫だまし」で地に落ちた横綱の品格
出典 日刊ゲンダイ 2015年11月18日
こんな低俗な相撲は見たことない。
九州場所10日目、横綱白鵬(30)が栃煌山に「猫だまし」を繰り出した。立ち合いでバチン! と両手を鳴らすと、面食らって突っ込む栃煌山をひらり。土俵際で振り返った相手に、再び猫だましだ。さらに難なく寄り切ると、いたずらっぽく栃煌山の胸をポンと叩いた。(中略)
猫だましは力の劣る力士が行う奇策。当然、横綱にふさわしい技ではない。横綱経験のある北の湖理事長も、「やる方もやる方。横綱がなんて、前代未聞」と吐き捨てた。
確かに今の日本人力士は白鵬にナメられても仕方ない。が、だからといって双葉山や大鵬といった大横綱が猫だましなんてしたのか。横綱は地位にふさわしい振る舞いが求められる。それは禁じ手といったルールとはまた別のことだ。
「どうだ、オレはこんなことも出来るんだ」と誇示したかったであろう白鵬。好角家からすれば、醜態以外の何ものでもない。
元小結の舞の海秀平氏は、いま大相撲を支えているモンゴル人は「お金を稼いで、祖国の両親、家族の面倒を見る」目的で相撲をとっているとしたうえで、相撲が日本の伝統文化、伝統芸能であり、神事であることを忘れてはいけないと戒めております。
出典 何が相撲の伝統を守ったか『月刊正論』 2014年7月号
いま大相撲を支えているのはモンゴル人なのです。モンゴル人がいるからこそ、私たちは横綱の土俵入りが見られるわけです。彼らの目的は何か。日本の大相撲界に入って、そして早く強くなって、お金を稼いで、祖国の両親、家族の面倒を見るということです。勝てるようになるまで、帰れない。そういう強い気持ちが、日本人の力士と違ってあるわけです。
朝青龍から聞いた話なのですが、朝青龍の父上は、息子に、どういう気持ちで相撲に臨むべきか、このように教えたそうです。「相手のことを、自分のお母さんのことを殺した犯人だと思って闘え」と。これを聞いた時、日本人力士は勝てないなと思いました。(中略)
相撲界に外国人が増えるのは、やはり国際化、グローバル化の影響であり、もはや止めようもないことです。外国の力士を排除すべきという意見もありますが、これも難しいと思います。もし、そういうことでもすれば、外交問題に発展するでしょう。モンゴル政府は本当に怒ると思います。
ただ、その一方で相撲が日本の伝統文化、伝統芸能であり、神事であるということも忘れてはならないと思います。相撲をオリンピック競技にしてはどうかという声も出てきていますが、五輪競技になれば、スポーツの国際的基準にあわせるために、相撲の伝統的部分がどんどん失われることになるでしょう。私はそれは、決していいことだとは思いません。
また、スポーツライターの玉木正之氏は、大相撲にスポーツ的な要素が強くなり、「ガチンコ」ばかりでは怪我人が続出し、ファンの不満が募ったこともある例を引き合いにして、「相撲はスポーツではない」と明言しております。
大相撲、「八百長」でなぜ悪い?
出典 玉木正之ネットワーク 2011-02-09
ましてや相撲はスポーツではない。もちろん格闘技として勝敗を争うスポーツとしての要素は存在している。が、それだけではなく、相撲はスポーツであると同時に神事でもある。多くの国々、各地方、さらに外国からも集った力人(力士)たちは、一堂に会して四股を踏み、大地を踏み固め、五穀豊穣を祈る。(中略)
さらに大相撲は、興行としての一面もある。江戸時代から続く日本文化の大人気興行であり、誤解をおそれず敢えていうなら、「ガチンコ」ばかりでは怪我人が続出し、横綱が長期休場したり、多くの力士が休場すれば、観客に不満が募る。じっさい大相撲にスポーツ的な要素が強くなり、怪我による休場力士が続出してファンの不満が募り、相撲人気に翳りが差したときもあった。逆に、興行の要素が強くなり、休場する力士は減ったものの「無気力相撲」が横行し、そのあまりに情けない取組の続出に、「土俵の鬼」と呼ばれた親方が激怒し、檄を飛ばしたこともあった。
が、様々な局面で、神事、スポーツ、興行という3本柱のバランスが保たれ、今日まで相撲という日本文化は維持されてきた。大相撲が格闘技としてのスポーツでもあると同時に、神事でもあり興行でもあることを勘案すれば、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」に基づく「出来山」も「盆中」も「気負け」も、相撲界の常識といえる。それを「八百長」と非難するのは、野暮と無粋の極みというほかない。
以上、横綱が勝つことを品格に優先することに、賛成と反対の意見を見てきました。
皆様は、賛成ですか?反対ですか?
なお、行政に携わる地方自治体の方々と住民側として社会行政問題に関わる方々に対して、懸案問題に対して賛成と反対の両面から検討することで、問題の本質を掴み、内因性を理解することで、合理的で本質的な解決策を見出していくことを目指す、ディベート教室をご提案致します。
ひとりディベートをより深く学ぶには、eラーニング「ひとりディベート講座」をお勧め致します。
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————【ディベート企業研修例】————
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